2022年11月17日木曜日

貴重な資料!

  「タダイマ コツカイニ  テイシツシタ」

               (只今 国会に提出した) 

   内田常雄氏から小野徹氏に速達電報が!

               (寄生虫予防法改正案提出)

 南アルプス市(旧若草町鏡中条)に小野醫院があります。釜無川を挟んで、東の杉浦醫院、西の小野醫院と言われ、地方病の名医と呼ばれた小野徹医師の病院です。小野徹氏(1875年~1971年)は、明治32年(1899年)に鏡中条で医院を開業し、地方病の臨床研究と原因究明に努めた医師です。

山梨県の地方病対策の中心的役割を担い、山梨県地方病撲滅協力会初代会長を務め、山梨県の医師会会長などの要職も歴任しました。特に、当時代議士の内田常雄氏(後に厚生大臣)と協力し、政府、国会を動かし寄生虫予防法の改正を図り、用水路のコンクリート化などの施策を促進しました

  昨年度、小野醫院に訪問させていただき、いくつか資料を譲り受けました。(ブログ2021年11月参照) その中にこんな貴重な資料が見つかりました。下の電報です。


ウチダツネオ氏からオノテツ宛の「電報」で、カタカナ表示です。全文を紹介します。

「地方病対策推進につき、党内をまとめ、われ提案者となり、寄生虫予防法改正案として、只今国会に提出した。関係者にお伝え勾う。」 期日は昭和31年4月24日となっています

実は、それ以前の4月17日、23日にも小野徹宛の手紙が送られています。

17日の手紙には「地方病対策コンクリートと溝渠助成の推進策として、小生が主導して同封のような寄生虫病予防法の改正案を党内でまとめ、何とか本国会に提案して成立せしめたく、本日政務調査会にかけました」と文言があり、これによって、「コンクリート化の年次計画を作らせること、補助率を引き上げられること、予算をたくさん取ることが可能になる」と伝えています。

4月17日の手紙(一部)


23日の文書には「大蔵省が大反対やら、泣きを入れて来て居りますし・・・・・むずかしい状況にはありますが、なんとか上程になるよう尽力中であります」と書かれています。 

そして、冒頭の「速達電報」(国会に提出)になるわけです。

小野徹氏と内田常雄氏との関係を整理しますと、まずは、遠い親戚筋にあたります。内田氏が昭和27年の衆議院選に出馬する際、小野氏に協力をお願いに行ったそうです。その折りに小野氏が、内田氏が地方病の撲滅対策をしっかり取り組んでくれるならという条件で、内田氏への協力を引き受けたそうです。そんな経過があり、内田氏は約束を守るべく奮闘していたのでしょう。

小野氏はその後、内田氏の選挙事務長や後援会長を引き受け積極的に内田氏を支援しました。内田氏は当選すること9回、昭和45年佐藤内閣で厚生大臣になります。

小野氏は、「内田が代議士に当選してくれてよかった。山梨県の地方病の撲滅を50年は早めることができた」と身内や周囲の者に語っていたといいます。内田氏も小野氏との約束は終生守り、地方病対策には全力で取り組んだそうです。

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