2021年1月31日日曜日

子どもたちの感想パート1

 子どもたちの感想 読んでみて下さい!

今年は、地方病流行終息宣言から25年の節目の年になりますが、残念ながら、地方病は確実に忘れ去られ、風化しつつあります。そんな危機感から、昨年度から出前授業を始めました。昨年の11月、12月に6校、12クラス(4年生)で出前授業をさせてもらいました。子どもたちの感想が届きましたので、2回にわたり紹介します。

児童の感想

 この子のようにたった1時間の授業ですが、私の話したこと、押さえるべき点を実にしっかり理解しているのには驚きます。

・話を聞いて分かったことは、地方病はお腹が大きくなるふくらむ病気ということです。お腹が大きくなるのは虫が原因で、その虫のセルカリアが人のひふをくいやぶって入り、それから血管に入って成長し、たまごを産むことで地方病をひきおこします。たまごからかえったばかりの虫をミラシジウムといい、ミラシジウムがやがて人の便から出てきます。ミラシジウムがミヤイリガイという貝に入って成長します。成長してセルカリアになり、また人のひふをくいやぶって入ります。ここでなぜミラシジウムがミヤイリガイにしか入らないのかです。これは今でも分からないそうで、私はミヤイリガイにしかない何か特別なものがあるのではないかと思いました。次は、その虫をどうやってたおしたかです。ミラシジウムはミヤイリガイの中に入って成長するのでミヤイリガイをなくせば育たないと考え、そのため薬をまいたり火でもやしたりして、ミヤイリガイをなくしたことが分かりました。 

こんな感想もインパクトがありますね。

・ビックリしたことが5つあります。1つ目はセルカリアという虫はひふを食いやぶり体内に入ってしまうという事です。2つ目は大人より子どもの方がかかりやすいという事。3つ目は杉山なかさんが自分でかいぼうを願いでたこと、医者のねこが発病してかいぼうして虫を発見、4つ目はこの場所が臼井沼と言われていた事 5つ目は115年の争いをしていたという事、そしてまだアジアではかかっている人がたくさんいるという事。


 子どもたちは分かったことを土台にし、自分の考えや思いを素直に表現しています。何よりうれしい事は、子どもたちが当時の人々に思いをめぐらせ、その時代に生きていた人々に想像力を働かせていることです。地方病に罹った人の辛さ 先人の苦労、努力、工夫に共感している様子がうかがわれます。この教材の持つ大切な視点である「協働することの重要さ」を指摘している児童もいます。

・わたしは地方病のことは聞いたことぐらいしか知りませんでした。先生の話を聞き、地方病のことが全部わかりました。まず地方病の原因ともいえるのは日本じゅう血きゅう虫という虫です。わたしは田んぼ仕事をしたことがありません。だからよくわかりませんが昔の人は朝早く起きて冷たい水につかりながらがんばって仕事をしていたと思います。なのにがんばって仕事をしても皮ふから虫が入り死んでしまう悲しい病気ということを、先生の話を聞きながら考えました。 


・先生の話を聞いて、ミヤイリガイという貝が関わっていることを初めて聞きました。杉山なかさんが地方病にかかり、三神三朗さんのかっているねこも地方病にかかり、そして山梨で初めてのかいぼうがおこなわれました。・・・そして昔の人々はミヤイリガイを殺そうとします。火を使ったり、薬を使ったり、水路をコンクリートにしたりしてすごいなと思いますそこから考えたことは、みんな一生けんめい協力することです。昔の人々は、地方病をなくしたい、もうみんなを苦しめたくない、そんな思いだったと考えました。あきらめることなく一生けんめいにやることでわたしたちの時代に地方病はなくなっているんだと感じました。 


・わざわざミヤイリガイや火炎ほうしゃ機をもってきてくださりとても感しゃしています。先生のお話で、地方病にかかったらあきらめてしまう人が大ぜいいたということは、地方病はとても苦しく辛い病気だったことがわかります。かいぼうを申し出た人、治そうとした人、薬をつくった人、この人達全員がいなければ、今自分も地方病にかかっていたかもしれないので、とてもそんけいしたいです。 


・平成8年に終わったことが宣言されたといっていたけど、またはやってしまったらどうするんだろうと思いました。今の田富北小は、昔は臼井沼でミヤイリガイという貝がたくさんいたということが分かりました。今ここは危険な感じがないくらい安全です。それを考えると昔の人達ががんばってくれたから、今の安全なくらしができているんだと思いました。 

 

・すごくなおすのも大変な地方病の話はとても分かりやすかったです。ミヤイリガイから出てきた虫がひふを食い破って入ることは「ぞっと」しました。人だけが地方病にかかることしか聞いたことがなかったので、ほにゅう類がかかると聞いてこわいなと思いました。平成
8年に地方病にかかる人がなくなり安全なことを宣言して安心しました。昔の人は地方病にかかる人が少なくなるために工夫をして、人々のために協力したと思いました。


・おなかが大きくなるげんいんは日本住血吸虫という虫がひふを食いやぶって体の中に入るからだということが分かりました。ミヤイリガイをなくすには水路をコンクリートにしたり、火でやっつけたりすれば、日本住血吸虫もいなくなるということもわかりました。杉山なかさんは、地方病になってげんいんを調べてほしい,かいぼうしてほしいと自分から言いました。地方病のげんいんを調べるためにすごく勇気のある人だなと思いました。115年もかけて日本住血吸虫をたいじしてすごいと思いました。地方病の人は、つらい思いをしながら生きてきたんだなと思いました。 


 ・地方病についてくわしく知ることができました。たとえば血管に住みつき、そこにたまごをうんで血の流れを悪くしてしまうということ、それでお腹が大きくふくらんでしまうとこと、私はこわくなってしまいました。もし自分がなってしまったと考えるだけで泣きたくなります。・・・・・・

授業の最後に、まだアジアの国々では地方病に苦しんでいる人がいると聞いたときはぞっとしました。私は改めて日本に住んでいてよかったと思いました。地方病に苦しんでいる人々の力になれたらなと少しくやしくもなりました。


 ・私は今回の事で初めて地方病の事を知りました。地方病はかかったらこわくて命がけなんだなと思いました。もう日本ではなくなっても世界であるなら日本でやった事を世界に届けたらいいんじゃないかと思いました。すぎうらけんぞう、さぶろう親子や三神三朗はすごいと思いました 最初虫を見た時は気持ち悪いと思いました。 


・私は初めて知ったことがたくさんありました。115年もかけてたいじしたことや、人のひふをやぶって体に入ること、そのほかにもたくさん教えてもらいました。話を聞いて、人々がど力してげんいんをつきとめたということが分かり、「すごく大変で大事なことをやりとげているんだな」と思いました。


 ・私は地方病(日本住血きゅう虫)という言葉を初めて聞いたのであまりわからなかったけど、出井先生の話を聞いてたくさん分かったことがふえたのでうれしかったです。特にミヤイリ貝を殺すために火を使うなんてすごくおどろきました。ミヤイリ貝を殺すために必しになってとり組んですごいなと思いました。わたしは大人になったらかんごしになりたいので、げんいん不めいの病気をなおしていきたいです。


2021年1月7日木曜日

中央市での出前授業

 現在の中央市、合併する前の田富町や玉穂村は地方病の有病地で多くの患者さんがいた地域です。特に、田富北小がある地域は、臼井沼とよばれ野鳥の宝庫とともに有数のミヤイリガイの生息地でした。 中央市の副読本(市町村教育委員会が編集・発行)には地方病の事がしっかり載っており、市内の多くの学校で地方病についての授業が行われているようです。今年度は市内の5校(田富小・田富北小・田富南小・三村小・玉穂南小)9クラスの4年生を対象に出張授業をさせてもらいました。

         田富小学校での授業 

 当日は4年生の2クラスで授業をさせてもらいました。1時間で地方病の概要を理解し てもらうのは少々大変です。「地方病とはどんな病気なのか」「どうやってやっつけたのか」「いつ終わったのか」の3点を授業で押さえる事にしました。

火炎放射器登場!
  前述した常永小学校の授業(「紅葉だより12月」参照)と同じように、子どもたちにイ メージしやすいように写真や具体物を教室に持ち込み授業を進めました。前半部分は常永小と同様の流れで、今回のポイントは「どうやってやっつけたのか(撲滅したのか)」です。 



 「このミヤイリガイをどうやってやっつけたのかな」
     薬で殺す、踏んでつぶす、火でやいちゃう、埋めてしまう、・・ 
  次に火炎放射器登場!「この大きなもの 何だと思う?」、       
    薬をまく、ミヤイリガイをすいとる、火が出る・・・・ など様々な意見が出ました。
 「薬をまく」「水路をコンクリート化する」「火で焼く」など3点を押さえ、その後は、だんだん患者さんの数が減り(戦後の田富町の患者数を示したグラフ)、平成8年に山梨県知事が終息宣言を出し、その記念として終息の碑を建てた事など説明しました。 


フィリピンの児童(罹患した)
 最後に罹患しているフィリピンの子どもの写真を見せて、現在でも地方病で苦しんでいる人々がいることを話して授業を終えました。
 
 「水槽に入っているミヤイリガイは安全ですか」 「フィリピンの子どもたちには治る薬はあるんですか」 ・・・などドッキリするような発言もあり、子どもたちの発想の柔軟性に驚かされました。   

  田富北小学校での授業では、前述したように、この地域は臼井沼とよばれ有数のミヤイリガイの生息地であると同時に、野鳥が10万羽もいた野鳥の楽園(宝庫)だった事を話し、地域住民と野鳥の会のメンバーとの対立があり、最終的には埋め立てられたことを、下記の写真を使い説明をしました。

昔の臼井沼
現在の臼井沼(田富北小付近)

竹の再活用

こんにちは。杉浦醫院です。 杉浦醫院の庭園は年間を通して、鈴木造園に植栽管理して貰います。 2月に降った雪で、杉浦醫院の竹林の竹が1本根元から、雪の重みで折れました。 鈴木造園さんに、竹の処分をお願いしたところ… 処分ではなく、再利用!!! 私の考えの浅はかさにお恥ずかしいかぎり...