2023年2月25日土曜日

「地方病115年闘いの歴史」語り継ぐ意味(意義)


       「地方病115年闘いの歴史」シリーズ 終了!

「昭和町風土伝承館 杉浦醫院だより」を月1回発行しています。

その中で、「地方病115年闘いの歴史」シリーズとして、第1回「江戸時代から甲府盆地は地方病のまん延地だった」から「県流行終息宣言」まで、18回にわたり地方病の歴史を簡単に紹介しました.

内容は以下の通りです。興味、関心がある方は、昭和町立図書館に「杉浦醫院だより」は保存してありますので、ご覧下さい。


1回 「江戸時代から甲府盆地は地方病のまん延地だった」

2回 「富国強兵の国策の中 動き出す地方病解明への取り組み」

3回 「山梨県初の死体解剖 杉山なかの勇気と英断!」

4回 「虫体(日本住血吸虫)の発見」

5回 「経口感染か経皮感染?(感染経路の特定)」

6回 「中間宿主(ミヤイリガイ)さがし!」

7回 「罹患者の把握(明治43年~44年 医師会で調査)」

8回 「治療薬(スチブナール)の開発」

9回 「俺は地方病博士だ!」

10回 「感染源を断つ! 改良式便所や家畜動物の糞便検査」

11回 「ミヤイリガイ撲滅への挑戦Ⅰ 人海戦術・生石灰・石灰窒素」

12回 「ミヤイリガイ撲滅への挑戦Ⅱ 火力・天敵」

13回 「ミヤイリガイ撲滅への挑戦Ⅲ PCP

14回 「ミヤイリガイ撲滅への挑戦Ⅳ 水路のコンクリート化」

15回 「ミヤイリガイ撲滅への挑戦Ⅴ 様々な啓発活動」

16回 「感染者の減少 昭和53年(1978年)最後の感染者」

17回 「水田1万町歩を畑作に(地方病地帯を大転換)」

18回 「県流行終息宣言」

 

 

「地方病115年闘いの歴史」を語り継ぐ意味(意義)

最後の回は、地方病の歴史を振り返り、「115年闘いの歴史」を次世代に語り継ぐ意味(意義)を考えたいと思います。地方病は、ある面「負の歴史」です。個人や行政レベルでも、「地方病は終わったこと」「過去の事」「今さら地方病?」・・・といったように、地方病の話題を避けてきた風潮が多少あったのではないでしょうか。流行終息宣言から25年余りの時が経ち、もっとポジティブ(前向き)に「地方病1115年闘いの歴史」を捉えていく必要があると感じています。

誇るべき先駆的で歴史的な事実、

石井明氏(自治医科大学名誉教授)はこう語っています。「日本住血吸虫症が制圧されたのは日本が最初である。住血吸虫症は世界の寄生虫感染の中でも重要な位置を占めている。したがって日本が日本住血吸虫症を制圧したことは誇るべき先駆的な歴史的な事実となった。」日本は日本住血吸虫症のメカニズムを世界で初めて解明したのです。解明しただけでなく完全に撲滅、制圧した世界唯一の国です。「一つの病を一つの国から終息させた!」これは、誇るべき歴史です。その中核を担ったのが、山梨県の人々であったことも、また特筆すべきことではないでしょうか。

            感染国の道しるべ

日本では撲滅、制圧した地方病ですが、世界に目を向けると中国、フィリピン、インドネシアなど中心に年間数千人から数万人規模の新規感染者が発生しているという現在進行形の病気なのです。日本(山梨)で終息させたその歴史と方法を、こうした国々に伝えていくことは大きな意義、また責任でもあります。

官民学一体の協働の歴史

「地方病115年闘いの歴史」を振り返り、実感として思うことがあります。茶碗と箸でミヤイリガイを拾っていた住民、毎日糞便検査をしていた保健所職員や研究機関、水路のコンクリート化に努力した市町村職員などの行政関係者、患者救済に尽力した開業医や医学者や研究者、また補助金獲得に奔走した首長や議員・・・・「地方病をなくしたい!」という共通の目標を持って、それぞれが役割を果たし、力を合わせて取り組んだ協働の歴史であったということです。「官民学一体の協働の歴史」このすばらしさは後世に伝えていく価値は大いにあります。

山梨県の近現代史の一側面

1945年(昭和25年)から1985年(昭和60年)まで行われた水路のコンクリート化事業は、水路の総距離は2000㎞、また、大正時代から取り組んだミヤイリガイ殺貝のための薬剤散布などにより、甲府盆地の景観及び環境は大きく変化したといってよいと思います。

1957年(昭和32年)、県は地方病対策と農業経営の関連を図るため「山梨県農業経営地方病総合対策本部」を設置します。地方病有病地の水田一万町歩を畑作に転換させる戦略をたてます。笹子有料道路が開通し、より換金性の高い商品作物としてブドウ・桃(果樹)への転換を図ったのです。これにより、山梨県は果樹王国として有名になっていきます。

このように、山梨県の近現代史は地方病ぬきには語ることができないのです。地方病は山梨県の景観や、環境、産業構造まで影響を与えているのです。山梨県の近現代史の一側面として、地方病の歴史を学ぶことは重要です。

         身近な祖先の歴史に触れる 

今年発刊した「地方病を語り継ごう」に目を通していただければと思います。「毎日川でおしめを洗い、水が真っ赤に染まったこと、吐血した赤黒い血の色や臭いは今でもはっきり覚えています」「洗面器に2杯余り大量の血を吐いた。口から吐き出されるその様子はマーライオンのようで、見ていた私も恐ろしかった」・・リアルな表現の中に、一人ひとりの地方病の歴史、想いが集約されています。苦難の歴史に立ち向かった身近な祖先の生き方に触れることも大きな意味があるのではないでしょうか。甲府盆地に生きた農民(庶民)の壮絶な農民史(庶民史)として、語り継いでいくことも大切です。

 

 以上のように、いくつかの視点で地方病の歴史を次世代に語り継いでいく意味(意義)は、とても重要です。今後も「地方病115年闘いの歴史」を、伝える努力をしていきたいと思います。

 

 

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